イギリスとの植民地戦争
18世紀半ばにイギリスとの一連の植民地戦争が始まり、第一次フランス植民地帝国のほとんどが没落することになる。これらの戦争とはオーストリア継承戦争(1744年~1748年)、七年戦争(1756年~1763年)、アメリカ独立戦争(1778年~1783年)、フランス革命戦争(1793年~1802年)、ナポレオン戦争(1803年~1815年)である。海外では北米植民地戦争と呼ばれ、1760年代までに大英帝国によって海上の覇権が奪われていった。
フランス領インド総督ジョゼフ・フランソワ・デュプレックスの活躍にも関わらず、インドにおけるイギリスとの争いは、オーストリア継承戦争では決着が付かず、また七年戦争では当初フランス側が北米で優勢であったが、最終的にヌーベル・フランスがイギリス軍に占領され、ほとんど西インド諸島の植民地と全てのフランス領インドが失われた。1763年のパリ講和条約では、いくつかのインドにおけるフランスの植民拠点とカリブ海のマルティニクとグアドループがフランスに返還されたが、後にルイジアナがスペインに参戦の代償として割譲され、フランスは北米大陸から全面的に撤退した。また、西インド諸島のグレナダとセント・ルシアもイギリスに割譲された。フランスがアメリカ独立戦争に参戦したことにより、1783年のパリ条約でセント・ルシアがフランスに返還されたが、これは当初の期待より遥かに少ない成果であった。
残されたフランスの植民地も、1791年にサン・ドマングで発生したハイチの黒人奴隷革命により大打撃を受ける。フランス革命による現地白人支配層の亀裂から生じた黒人暴動は、1804年にはハイチ共和国の成立に至り、フランスは最も収益のあったこの植民地を失った。さらに、エジプトに植民地を創設しようとしたナポレオン・ボナパルトの企ては失敗に終わり、ナポレオンがスペインから取り戻したルイジアナ植民地も財政上の必要からアメリカ合衆国に売却された(ルイジアナ買収)。ナポレオン戦争中、残されたフランス植民地は全てイギリス軍に占領された。
wikipediaより抜粋