フランス植民地帝国③第二次植民地帝国

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第二次植民地帝国

ナポレオン戦争後、フランスではブルボン朝が復活したため、多くのフランス植民地がフランスに返還された。西インド諸島のグアドループとマルティニクを始め、南米のギアナ、セネガルの交易拠点、インド洋のレユニオン及びインドのポンディシェリなどである。しかし第二次植民地帝国の真の始まりは、1830年から17年間続いたアルジェリアの征服であった。ナポレオン3世はアメリカの南北戦争に乗じてメキシコに保護国を樹立しようとしたが、アメリカ内戦の終結により失敗に終わった。また、ナポレオン3世はサイゴンを首府とするコーチシナを直轄植民地とし、カンボジアも保護国としてこれに組み入れた。
フランスの植民地の大部分が獲得されたのは普仏戦争(1870年-1871年)後のことである。コーチシナの基地からフランス人は1883年にトンキンとアンナンを獲得し、フランス領インドシナを形成した。1893年にはラオス、1900年には中国南部(清)の広州湾租借地もこれに加えられた。さらに1881年にはチュニジアを保護国とした。
20世紀始めまでに、フランスはアフリカ北部、西部、中部へ植民地を拡大していった。この一連の動きをアフリカ横断政策といい、アフリカ西岸と東岸のジブチとの接続を試みた。同時期にイギリス帝国が採った、カイロとケープタウンを結ぶアフリカ縦断政策と対立し、スーダンでファショダ事件が起こった。結局、ドイツの進出に対抗するためにフランスが譲歩し、英仏協商でスーダンにおけるイギリスの優越権を認めた。また、これに対しイギリスはモロッコに対するフランスの優越権を認めた。
この広大な植民地には現代のモーリタニア、セネガル、ギニア、マリ、コートジボワール、ニジェール、チャド、中央アフリカ共和国、コンゴ共和国、マダガスカル、ジブチが含まれていた。1911年にはモロッコも保護国とされた。第一次世界大戦では約55万人の植民地兵がフランス戦線に動員され、特に勇猛なセネガル兵は最前線に送られて数万の戦死者を出した。また、人手不足となったフランス国内に植民地は20万人以上の労働者を送っていた。大戦後にはオスマン帝国領であったシリアとレバノン及び元ドイツ植民地であったトーゴとカメルーンを獲得した。
wikipediaより抜粋

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