東インド会社とポンディシェリ

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ポンディシェリ
インド東海岸の港都市。1674年にフランスが進出して商館を建設、イギリスのマドラス(現チェンナイ)と対抗し、インド進出の拠点とした。ベンガル地方のシャンデルナゴルと共に1954年にインドに返還された。
ポンディシェリ 
 インドのベンガル湾に面した都市。 1673年、フランスのフランス東インド会社はビジャープルのインド人地方支配者からコロマンデル海岸のポンディシェリの土地を購入し、さらにベンガル地方にシャンデルナゴルを獲得した。さらに翌1674年にポンディシェリに商館を建設した。当時フランスはブルボン王朝全盛期のルイ14世の絶対王政時代にあたり、財務長官コルベールにる重商主義が展開されていた。コルベールは、ポンディシェリを後に要塞とし、インド進出の中心拠点とした。 
フランスの植民都市
 ポンディシェリはイギリス東インド会社の拠点であるマドラス(現在のチェンナイ)の南約160kmにあり、ベンガル地方のシャンデルナゴルとともにフランス東インド会社のインド進出の拠点となった。
 1744年に始まったカーナティック戦争(第1次、第2次)でイギリスと戦ったデュプレクスは、ポンディシェリの知事であった。デュプレクスは果敢に戦い、イギリス東インド会社軍を圧倒し、一時はマドラスを占領したが、独自に戦争を指導したとして本国政府から解任されてしまい、以後はイギリス側がクライヴの軍事的な指導によって勢力を盛り返すこととなる。
第3次カーナティック戦争
 ヨーロッパで七年戦争が起きると、イギリスとフランスはインドでまたもや衝突し、ベンガル地方では1757年にプラッシーの戦いが起こり、並行して南インドでは第3次カーナティック戦争(1758~61年)が始まった。第3次カーナティック戦争では1761年1月16日にイギリス東インド会社軍の総攻撃を受けたポンディシェリが降伏した。このポンディシェリの降伏によって英仏の長いインドにおける抗争は終わり、イギリスの覇権が確立した。1763年のパリ条約でシャンデルナゴルと共にフランス領に戻され、その後、フランスの植民地支配は第二次世界大戦のインド独立後まで続き、ようやく1954年にシャンデルナゴルと共にインドに返還された。
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