大航海時代( A.D.1415〜A.D.1648 )

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大航海時代( A.D.1415〜A.D.1648)
ヨーロッパ人の航海・探検活動によりアジア・アメリカ大陸などと新しい航路が開かれ、ヨーロッパ人が海をつうじて外の世界に進出した15世紀末から17世紀中頃までを、歴史学者増田義郎が「大航海時代」と命名した。増田による大航海時代は、1415年におけるポルトガルのセウタ攻略から三十年戦争が終結し、ロシア人の探検家セミョン・デジニョフがチュクチ半島のデジニョフ岬に到達した1648年までとなる。
世界を支配する海の覇者
海運が鍵を握った王朝の命運
地表の約7割は海洋であり、約3割が陸である。大航海時代まで、世界史の舞台は今の約3分の一の地域に限られ、北インド洋(アラビア海)を除く大洋はほぼ手付かずの状態にあった。ポルトガルのエンリケ航海王子の西アフリカ沿岸の探検に端を発する大西洋開発の動きは、1488年のバルトロメウ・ディアスの喜望峰の発見で新たな展開を見せ、90年代にはコロンブスの大西洋横断、ジョン・カボットの北米への航海、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路の開発で、一挙に進展した。その後、1520年代になると、マゼランの航海で地球上の全陸地をのみこむ太平洋の存在が実証され、地球の広がりが明らかになった。わずか30年の間に大西洋、インド洋、太平洋の配置とモンスーン(季節風)が解明され、羅針盤、ポルトラーノ(海図)により、地球規模で航路がつながったのである。世界史は「海の時代」に転換し、西欧諸国の主導の下に、それまでのユーラシアから一回りも二回りも大きな空間に歴史の舞台は転換した。以後、16世紀のポルトガル・スペイン、17世紀のオランダ、18〜19世紀のイギリス、20世紀のアメリカというように海を制した国が世界の覇権を握ることになる。
1520年代から30年代にかけて、コルテスがアステカ帝国、ピサロがインカ帝国を征服し、40年代にはペルーのポトシ、メキシコのサカテカスなどで大銀山が開発されて、大量の銀がヨーロッパ・中国に流れ、世界経済の一体化の基盤が形成された。従来の7倍もの安価な銀が流入したヨーロッパでは「価格革命」が起こり、メキシコのアカプルコからマニラ経由で(マニラ・ガレオン貿易)、絹と引き換えに大量の銀が明に流入した。明朝では、銀で税を集める一条鞭法が採用されることになった。また、トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、カボチャ、トマト、ピーマン、アボカド、パイナップル、ピーナツ、トウガラシ、バニラ、カカオ、タバコなども新大陸から旧世界に持ち込まれ、食の世界も広がった。
アジアでもヨーロッパでも王朝の栄華がみられたが、海を隔てた新大陸、アジアに植民地を拡大し、重商主義により国富の増大を図った西欧諸国と内陸型の帝国では大きく差が広がった。オスマン帝国、ムガル帝国、清帝国、シベリアを征服したロシア帝国、東欧のオーストリア帝国はきらびやかな歴史を展開し一見強大だったが、次第に海洋国家に後れをとっていく。17世紀に商業国家、海運国家として世界をリードしたオランダは、世界各地でヨーロッパが必要とする商品作物を大量に生産するプランテーション(大農場制)を展開し、富をヨーロッパに集中する体制を組織した。ブラジルやカリブ海で、大量の黒人奴隷を使った砂糖の生産が行われ、18世紀になると、英蘭戦争でオランダを破ったイギリス、ルイ14世(イギリス王)の下でヨーロッパ最大の陸軍国となったフランスが砂糖の生産を牛耳り、世界経済をリードすることになった。両国は北米、インドで勢力争いを繰りひろげたが、七年戦争の際に起こったインド、北米の戦争で、イギリスが最終的に勝利する。
近代ヨーロッパの成立
ヨーロッパ世界の拡大大航海時代の背景
15世紀末からヨーロッパ世界の外へむかっての積極的な膨張がはじまる。この動きはヨーロッパ人の航海・探検活動によりアジア・アメリカ大陸などと新しい航路が開かれ、ヨーロッパ人が海をつうじて外の世界に進出していったことによる。こうした新航路開拓を「地理上の発見」と呼ぶこともあり、またこうした活動がおこなわれた15世紀末以来の数世紀を「大航海時代」の名で表現することもある。
年表
大航海時代
年 国 君主 できごと
1407 中国 永楽帝 鄭和がインドのカリカット(コーリコード)に到達
1413 中国 永楽帝 鄭和がペルシャ湾のホルムズ(ティムール朝)に、分遣隊がやアラビア半島南のアデン(ラスール朝)などに到達
1415 ポルトガル ジョアン1世(ポルトガル王) エンリケ航海王子らが北西アフリカのセウタを攻略
1432 中国 宣徳帝 鄭和がホムルズに到着、分遣隊が東アフリカ、南アラビアの諸港を巡りメッカに到達
1482 ポルトガル ジョアン2世(ポルトガル王) ガーナの地に城塞を築いて金や奴隷の交易を行なう
1485 ポルトガル ジョアン2世(ポルトガル王) ディオゴ・カンがナミビアのクロス岬に到達
1488 ポルトガル ジョアン2世(ポルトガル王) バルトロメウ・ディアスがアフリカ南端の喜望峰に到達
1492 スペイン フェルナンド2世 (アラゴン王) クリフトファー・コロンブスが西インド諸島のバハマ諸島に到着。
1494 トルデシリャス条約
1498 ポルトガル マヌエル1世(ポルトガル王) ヴァスコ・ダ・ガマがインドのカリカット(コーリコード)に到達
1500 ポルトガル ペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルに到達
1509 ポルトガル フランシスコ・デ・アルメイダがディーウ沖の海戦でイスラム勢力に勝利しインドとの直接交易を獲得
1521 スペイン カール5世 (神聖ローマ皇帝) フェルディナンド・マゼランが南アメリカ大陸南端のマゼラン海峡を通過、太平洋横断、グァム島、フィリピン諸島に到着
1525 フランス フランソワ1世(フランス王) ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノがヨーロッパ人で初めて北米東海岸を探検
1529 サラゴサ条約
1534 フランス フランソワ1世(フランス王) ジャック・カルティエがカナダへの最初の航海
1642 オランダ アベル・タスマンがオーストラリア探検
1543 ポルトガル ジャンク船に乗ったポルトガル人が日本の種子島に漂着し鉄砲を伝える
1557 ポルトガル マカオに要塞を築いて極東の拠点とする
1571 スペイン フェリペ2世(スペイン王) ミゲル・ロペス・デ・レガスピがフィリピンを征服、スペイン領とする
1648 ロシア セミョン・デジニョフがユーラシア最東端となるチュクチ半島のデジニョフ岬に到達
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